オリジナリティと子供の成長

子供の力

どうもウルスです。今日ですね。子供がですね。アイロンB'zをやってたんですよ。あ、アイロンビーズでした。で。いつもはGoogle先生に教わったやり方でやるんですよ。答えがあるやつですね。ただ今日はちょっと違ったんです。どう違ったかと言うと。自分でデザインし始めたんです。好きなポケモンについて自分で調べて、ドット絵の構造を作りはじめました。

最初は自分が好きなポケモンの作り方を見ながらやっていました。でも途中で変えたんです。きっかけは作りたいポケモンの完成図がなかったこと。そうです。問題に直面したんです。そこでないからやらないとあきらめなかったんです。自分の力で作ろうと思ったんです。この変化は大変興味深い。

なければ自分でつくる

そうです。なければ全部自分で作ればいいんです。でもこれが普通はなかなかできない。探したけどないからやらない。やり方を知らないからやらない。考えるのはめんどくさい。でも彼女は違った。そしてパパを巻き込んだ。私はこういうことが大好きなのでいくらでもできます。そして楽しんじゃいます。

私の父はよくこう言っていました。子供には遊ぶことしか教えてあげられない。そう言って父はいろいろな遊びを教えてくれた気がします。キャッチボールをやったり。何かものを作ったり。トランプをやったり。遊びに出かけたり。将棋をやったり。麻雀をやったり。釣りをやったり。父だけでなく祖父も私にいろんなことを教えてくれました。一緒にうなぎを取りに行ったり。もじりを仕掛けたり。

遊びは学び

今回のことを通して私は学びました。あれをやりなさいこれをやりなさい。これは一見素晴らしい教えを伝えているように見えます。ただ伝わっていないかもしれない。何が伝わっていないかと言うと。なぜそれが人生を豊かにするのか。これはその時に気づく事は少ない。でも遊びは違う。できるようになったら楽しい。できるようになったら嬉しい。

そうなんです。遊びは即効性がある。その場でメリットがわかる。その場で修正できる。喜怒哀楽が詰め込まれている。負けたら悔しいできなかったら悔しい。でもできたら嬉しいすごく楽しい。つまり遊びは学び。人生において最も重要なものかもしれません。もし父と祖父そして周りの人たちがこれを構造的に理解してやっていたんだとしたら恐ろしい。もしかしたら遊びで人生が良くなる。このことには気づいていたのかもしれません。ただ感謝したい。私は父と祖父そして周りの人たちからきっと人生で1番大切なものを教わった気がする。

成長にフタをする人

そして私は子供にも伝えたい。ただ知っているだけでは価値がない。それを使って初めて勝ちになる。そして遊びは最強の生存戦略。いや。生存戦略のみならず人生を素晴らしくする最高の方法。それこそが自分で作ったゲーム。今回子供はそれを自分でやりました。この能力があるとどこへでも行きます。どの局面でも戦います。どの局面でも楽しめます。この自分で遊びを作ると言う最強の武器。それをすでに彼女は手に入れています。つまり彼女の人生はもはや素晴らしい。

私が注意しなければならないのは。この能力に蓋をしないこと。この能力が失われてしまうと多分ですが人生は楽しくない。そして。彼女の能力を奪うことも私たち親にはできる。あーしなさいこうしなさいこれでなければダメこうしなければいけない絶対だめやめなさいリスクを犯すのやめなさい自分で考えるのをやめなさい。これを伝えることができる。そしてコントロールすることができる。これは私たち大人は使うことができる。

未来人

でもその選択は間違っている。なぜなら彼女たちは私たちよりも未来を生きる。私たちが考えた仕組みそしてルールなど価値がなくなる時代になるかもしれない。そんな私たちすらも体験したことのない時代。この時代に答えがあるのか。ないんだろう。いやある。もちろん答えはどこかにある。ただそれを私たちは持っていない。

ではどうして私たちはまるで答えを知っているかのように彼女たちに接するのか。もちろん人間的に大切にしてほしい部分はある。ただそれは全体からすると極一部な気もします。このバランスと間違えるとよろしくない。もちろん親なので教えなければいけない部分はあります。ただこれが答えだと教える方法が良いかどうか判りません。自分で考えてもらう。そして自分で答えを出してもらう。この仕組みを必ず入れておかないと危険。なぜなら状況により答えが変化するからです。絶対的な状況があるかもしれない。でも世界はそんなにシンプルではない。

青と空の境目

そうなんです。どの状況にもグラデーションがかかっています。どんなグラデーションかと言うと。ありがとう。ごめんなさい。どうぞ。私が正しい。あなたが正しい。私が間違っている。あなたは間違っている。これらの言葉はある1部を切り取っただけの言葉です。本当にその状況下でその言葉は必要かどうかすら定義することは難しい。

この曖昧な世界の中で。彼女たち彼たちに絶対こうしなさい。これを伝えることの危険性を考えることが必要かもしれません。私は子供を愛しています。これは正しくて普遍的なものです。こういった普遍的なものはたくさん言ってよい。ただ状況によって変化するものは経験をさせるのが早い。つまりああしなさいこうしなさいと言った言葉。これらはTPOを考えた上での行動となる場合が多い。

プレイtoトラベル

可愛い子には旅をさせよ。私が言い換えるならば。可愛い子には遊びをさせよ。これですね。いろいろ長く書いてしまいましたが。私が今日感じたこと1つ。子供の可能性は素晴らしい。その可能性を潰すも生かすも親次第。そしてこの親次第と考える思考。これこそがおこがましい。こんな気持ちになりました。改めて子供とのお絵かきの時間を自分自身もとことん楽しみたいと思います。

はい。というわけでウルスの振り返りの日記でした。いかがでしたでしょうか。こうして考えてみると子供ってすばらしいですね。そしてこういった素晴らしい時間もあと少しと思うと涙がちょちょ切れます。この楽しい今日という日を脳裏に刻みつつ一日一日を精一杯生きたいと思いました。

それでは皆様素敵な1日をお過ごしください。

2022年夏 AM3:00から一人映画鑑賞 ウルス

-ウルス日記

Copyright© AIヒト化計画 , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.